直截の時間(募集中)

気ままに書きます。勉学(課題の超過)によって停滞する可能性あり、タイトルは募集中だし良いのがあれば変える。

拝啓。plentyさま

拝啓

皆さま方におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

これまでの長旅で、さぞやお疲れになられたでしょう。どうかおくつろぎください。

それでも、13年間という年月もあなた方には一瞬の出来事であったようにお察しいたします。

皆さまがどのような心境に今いるのか、わたくしには到底想像も及びませんが、晴れやかで、しかしながらどこか切ない、冬の終わりの晴れ渡った青空のような、そんな光景に近いものであるとわたくし、勝手ながらも妄想を膨らましております。

わたくしが見たのは最後のライブではなく、最後のツアーの千秋楽前と、まだ解散の途にある皆さまでしたが、清々しい表情を拝見して、きっともやっとしたものは一切ない、他のバンドとは全く異なる、気持ちのいい解散なのだろうとうっすらと悟りました。

バンドの解散は、人の死と同じで、バンドの数だけ色んな終わり方、喧嘩別れ、泣き別れ、大円団、色々とありますが、こんなに幸せで、切ないバンドの終わりは初めてでした。

 

話は変わりますが、わたくし、3年前に残響レコード残響祭で初めて生で演奏を見たきり、新譜も聞かず、解散ツアーになるまで距離を取っていたふつつかもののファンでございます。おそらく、最後に見に来たのなら、そんなことはどうでもいいという風に言ってくださるでしょうが。

それでも年の初めには2017年にライブを見るリストにしっかりplentyを入れていたのであります。インタビューもろくすっぽに読んだことがないわたくしですが、自分なりには大切な存在と思って、絶対にワンマンを見てやろうという気概でいたのです。それがこのような、おそらく、自分がすっかり少年を捨て切ってしまう時までの最後のplentyとなったのは、最初は驚きとショックでした。

歌ものの邦楽が不得手で、サウンドに凝った洋楽をもっぱら聞いていたわたくしが珍しく歌詞に心を奪われたバンドplentyが終わる。それは自分が珍しく邦楽をよく聞いていた高校時代の思い出の終わりで、つまりは10代の象徴の一つがなくなるということでした。

慌ててチケットを確保し、最近のアルバムを聞きました。そうしたら、なんとなく「ああ、終わるんだな」という実感がわきました。自分が聞いていた頃と違って、音楽的にも幅が出てきて、歌詞も葛藤している少年から少したくましくなった青年の悩み、という変遷を感じ、わたくしが聞いていた頃のあのplentyではないのは、たとえ解散していなくても確かでした。

それでもちゃんと聞くと決して曲が軽くなっただとか、歌詞がなおざりになっただとかそんなことは決してなく、変化したバンドで出来る、最高のplentyがそこでは鳴っていました。

その代わり、解散したいという気持ちも少しはわかったような気がしました。サウンドがカラフルになるということは、別に三人のバンドという形にこだわる必要はなく、いつかは終わる道を歩んでいるようにも思えました。

 

話を戻して、自分が見たライブの話に戻ります。

ワンマンで見るライブは初めてでしたが、他の邦ロックの、失礼ながらも同調圧力の強いライブとは違い、服装もテンションもてんでバラバラで、見たいように見るというスタイルで人々がライブに臨む姿は、このバンドにしかない求心力というものをライブが始まる前から強く感じさせました。

ライブが始まりました。白状します。一曲目で号泣しました。デビューアルバムの、この文章の題名の元となる大好きな曲であったのも確かでしたが、いきなりお別れを告げられてしまい、動揺しました。

 

それからもことあるごとに泣きました。一曲一曲聞くというより、ふんわりと会場を包み込む空気を感じるように、ぼんやりと突っ立って音を浴びていました。

それは他のライブと違う、不思議な体験でした。

音を聞くだけで、メンバーが何を考えているか、手に取るように分かったのです。だからこそ、最近の曲を初めて聞いた時よりも強く、「このバンドは解散するんだ」と分かってしまい、納得してしまいました。決して仲違いではないけれども、これはもう決まってしまった、変わらない事実なんだと。

ファンが解散しないでと泣きついても、はにかみながら、それでも解散はするんだろうな、と思いましたら、やはり同じような状態になりまして、数秒の沈黙の後、「ありがとう」とだけ呟いて、「幼き光」の出だし、「さよなら、さよなら 幼き光よ。」を歌い出したのは、メンバーの尽きることのないエネルギーを感じるようでぞくぞくとしました。

レコーディングの演奏よりはるかに強靭で、生々しい演奏が続き、このバンドでしか鳴らせない音が続きます。それはこのバンドが高みにいることを教えてくれると同時に、とても今の形では封じ込めないほどに自分たちの力を持てあまし始めようとしている予兆にも聞こえました。

アンコール前の「手紙」でまた号泣し、しばらくの静寂の後にまた音が鳴り出しました。この解散ツアーのMCが普段より多いのか少ないのか、わたくしには分かりませんが、解散についてほとんど何も言わず、ただ歌に全てを託す姿には、plentyって自分が勝手に思い描いていた通りに音楽をやっているんだなぁと勝手に感動してしまいました。いえ、曲だけでそのバンドの精神的なところまで全てを表現しきってしまうからわたくしはplentyを好きになったのでしょうか。

とにかく、最近の、音をカラフルにすることを主体にした曲は一切やらず、歌で全てを説明してくれるライブに、わたくしが高校時代の頃からplentyってこんなバンドかな、と想像していたもの全てが詰まっていました。

 

最後の曲、「蒼き日々」の光景は、今まで見てきたライブで、いや、これから見ていくライブの中でも、一番美しい光景でした。ある人は号泣し、ある人は手を振り、ある人は不動のまま放心し、それぞれの最後のplentyを見ていました。わたくしがどういう風に最後の曲を聴いていたかは内緒です。お墓に持っていくつもりはありませんが、少なくともこの5分間は自分の宝物にしようとは思います。

「元気でね」と去っていったのを見て、自分の「目の前で動いている」plentyは終わりました。東京にも、チケットがなくともせめて会場まで、行きたい気持ちが湧かなかったわけではなかったのですが、自分の中でのplentyはこの1日で全て受け止め切れたと思いましたゆえ、これ以上なく満ち足りた気分で帰りの途につきました。

 

拝啓。plentyさま

当然、解散してもplentyの曲は無くなりませんし、いつか遠い未来に再び相見えることを願っておりますが、実際に三人が集まって鳴らすplentyはこれで一旦終わりなのですね。

まだまだ言葉にしたいことはたくさんありますが、今までのメンバーも含め、plentyに関わった人々が、音楽という形でなかったとしても、自分の信じる道をまっすぐにやり遂げることをお祈りしております。

 

敬具

いちファンより