直截の時間(募集中)

気ままに書きます。勉学(課題の超過)によって停滞する可能性あり、タイトルは募集中だし良いのがあれば変える。

ピンク・フロイドの伝記を読んでの感想とメモ

マーク・ブレイク作、伊藤英嗣訳の大著『ピンク・フロイドの狂気』と『ピンク・フロイドの神秘』(原題"Pigs Might Fly: The Inside Story of PINK FLOYD")をやっと読み終えた。2008年の刊本なので、リック・ライトもギリギリ存命しており、この後に出るまさかのラストアルバム『The Endless River』も存在を含めて一切言及されていない分、今更感のある読破報告ではあるが、それでもいまだに払拭されていない偏見や知られていないエピソードも多々語られているので、そのいくつかを、感想を含めて出来事の時系列順にブログに残しておく

なお、本自体の評価について言うと、バンドメンバーから学友時代の関係者まで非常に多くの証言を利用しているという点と、1つの問題に複数の立場からの見解を引用してどの立場にも与しない記述に徹したという点が非常に良かった。空前絶後の額の大金の動いたバンドなだけに、センセーショナルで事実よりも面白みを優先した書き方を選んだ方が売れたのであろうが、ロジャーの横暴に対してですら、その行動理由を指摘してある程度の擁護を行い、その上でようやく人格的問題を批判するという律儀な姿勢には頭が下がる。その結果、メンバー全員の人間としての好感度の低下に繋がる作品にもなっているのだが(笑)。

 

・ロジャーはロックが嫌いだった。ハマったのはビートルズの登場から。 

 

・メンバーの関係性が学生時代からデビュー期に至るまで変わらない。 なんでも仕切りたがって他の学年にもその名前が響き渡っていた有名人ロジャー、クスリにハマる前から大分と個性的で街の話題の中心シド、奥手でパッとしたエピソードに欠けるリック、お坊っちゃまなので悪気なしに友人を邸宅に招待しては相手を気後れさせるニック、そしてシド以外とはバンド加入まではほとんど接点がなかったため、のほほんと自分の道を進んでいたデヴィッド。

 特に、フロイド以前の(それぞれ異なる仲間との)バックパッカー旅行中でのロジャーとデヴィッドのエピソードが象徴的だ。前者は今日ではいわゆる"DQN"と呼ばれる人種との遭遇を常に恐れ、後ろ向きの性的感情のせいでワンナイトラブといった色恋沙汰は一切起こらなかった。一方で後者は呑気に旅を満喫し、堪能なフランス語によって異国での生活も快適に過ごし、無断の路上演奏で一時は警察のお世話になり、大量のエロ本を持ち帰ろうとして入管手続きに引っかかるというような馬鹿馬鹿しい失態を犯している。

 さらに別の機会に、フロイド誕生後の休暇では、その間に彼女がアメリカを単身旅行していることばかりリックが気にかけていたがため、ロジャーの侮蔑対象の餌食になってしまい、ロジャーはロジャーで、自分の勇気を見せるためか人生初のLSDに手を出している。一方で加入前夜のデヴィッドは、当時のバンドがある程度軌道に乗り出したがために大陸を回って演奏を行いながら日々の糧を稼いでいた。しかしプロミュージシャンとして順当に軌道に乗ったという訳ではなく、最後には栄養失調気味にイギリスに逃げ帰ってくる。

 

・シドに対するロジャーのアプローチがかなり介護的。ドラッグがなくても生来衝動的に行動する人種なだけに、ツアー生活やメディア対応ともなるとロジャーは「ほらシド、出発だよ」「ほらシド、今日の仕事だよ」といった調子で万事をコントロールしていたようで、シドの生活費やバンド全体の命運もかかっているとなると、無理矢理3歳児を引きずり回すようなやり口はある意味正しい対応ではあった。しかし、そのハリボテのフロントマンの延命措置のせいでシドの病状悪化や廃人状態になる前の対処の遅れに繋がったとも言える。とはいえ、ちゃんと精神科医を斡旋しながらも受診拒否をしたシドに対してロジャーがギリギリまで対応していたのは、彼がヒットソングライターでバンドの大黒柱であったからという打算的な動機だけではなく、友人としてのよしみとしての同情や不安もあったからというのは確かだろう。

 

・ドラッグ中毒が悪化し、全く状況を理解していなかったといっても問題ないレベルの錯乱状態にあったシドは、ギルモアとの5人体制のライブにおいて、自分以外の誰か(実際にはシドの親友である!)がギターを弾いているということに気がつくやいなや、その誰かさんの目の前に立ち、じっと睨んでいたという。

 

・シドの解雇の後に作曲面でのバンドの立て直しにに取り組んだ中心メンバーはロジャーとリック。実はリックはかつてバンド活動に大きな進展がないタイミングで音大に進学しており、アマチュア時代には早くも他ミュージシャンに自作曲を購入してもらうということに成功しており、活動書紀からシドの次に優れたコンポーザーという評価を受けていた。ロジャーはロジャーで、ブルース・スプリングスティーンボブ・ディランなどを模した後の紋切り型の作風とは異なり、様々なアイデアをふんだんに盛り込んだ『太陽讃歌』を作り上げ、シド脱退以降のフロイドの成功への布石を打った。

 

・バンドとしての成功後、大量に自分の手元に流れ込んできた収入のメンバー毎の使い道の差が露骨。どれだけ破格の額を手に入れようとも誰もパーティー三昧にならなかったのは彼ららしいが、今までの友人やスタッフで貧しい連中に家を与えたデヴィッド、共産的思想とは相容れない金の亡者のような自分の現状に腹を据えかねて大金を団体に寄付して折り合いをつけたロジャー、田舎の邸宅を購入して「ロックスター的だ」と散々ロジャーになじられるものの後に全く同じことをされる(ロジャー曰く、「これは妻の要望だ」)リック、趣味の車集めに勤しむニック。

 

・クルーズや車などいかにもロックミュージシャンらしい道楽には全員何かしらは励んでいるが、ライブのバックステージではバックギャモンなどのボードゲームルービックキューブなどと、かなり大人しい遊びが通例となっていた。とはいえ、誰も読書家ではない(ロジャーでさえ『失われた時を求めて』の読破を断念している)ので、そこまで知的な訳でもない。

 

・『ザ・ウォール』の不仲の真相は、無能なメンバーであったリックの往生際の悪さが要因であったように思われる。作曲もせずスタジオには必要時以外には顔を出そうとしないリックに苛立ったロジャーによってアルバムクレジットから名前が消されることに反対し、「私だってプロデュース能力はある」と言いつつも、いざ実践していたのは「日々スタジオで何もせずにただその場にいる」ということであった、という顛末がロジャー以外の口からも証言されているというのはどうにも分が悪い。明らかなロジャーによる中傷であったならば、残りの2人も借金(バンドの収入の運用を任していた投資会社が失敗をして各自に数億円相当の負債が背負わされていた)のリスクも顧みずに動いていたであろうが、ロジャーの「リックが脱退しないとこのアルバムを出さない」という恫喝に屈して日和見に転じてしまった辺りはある程度図星であったのだろう。

 後にリックが自分の怠惰ぶりを認めつつ、子供の世話という家庭の事情と「ロジャーは気にいらない奴がいると、相手にその非があるように認めざるをえないような状況に追い込むのがうまい」という証言を残している。フロイドでは70年代後半以降作曲のペンが途絶えていたが、1978年にはソロアルバム『Wet Dream』でその腕が鈍っていないということを示し、バンドには貢献しないくせにソロでは発表するのかと、ロジャーの逆鱗を買ったが、さて、真相は...

 

・同じく『ザ・ファイナル・カット』での不和は、デヴィッド側の怠惰が大きいことには違いない。レコーディング当初こそ、ロジャーと「ドンキー・コング」で遊んで和気藹々とした空気だったらしいが、徐々に仲が悪くなっていった中での最大の論争点は、「主要曲が前作の没曲というロジャーの作曲レベルの低さ」と「口だけ達者で自分では曲を作ろうとしないデヴィッドのバンドへの貢献度の低さ」であった。特に後者の問題はバンドという閉鎖的なコミューンにおいては致命的であり、いかに的確な批判でも、作曲もしてないのに叩かれる筋合いはないというロジャーの気持ちはごもっともだろう。今聞き直したら、『ザ・ウォール』内の捨て曲より『ザ・ファイナル・カット』の平均的な楽曲の方がロジャーの思想を表現することに秀でていて好きだし(主観)。なおニックは、自分が技巧的に〆切内に叩けないということが分かった途端、セッションミュージシャンにスツールの座を譲っている。それで良いのか?

 

・一方で1982年頃にはシドへの突撃取材が行われている。ぶくぶくに太って髪の毛も禿げて見る影もない...と言われていたが、撮影にも応じてシャツ1枚で映る軽装の彼はごく普通の中年男性であり、腹も生え際も極端に醜く変貌している…なんてことはなく、事情を知らない人が見たら中肉中背男のなんて事のないワンショットにしか見えないだろう。更には亡くなった2006年にも、家にマスコミが押し掛けたため自ら扉を開けて対応を行っているが、トクダネ写真として残されているのは、スキンヘッドでやや不健康に頬の痩けた(といってもヴェジタリアンだとでも主張されたらそれで納得もいきそうなレベルである)老人であった。自転車を漕いでは美術館に通い、かつての旧友とは一定の交流を持ち、読書とロック以外の音楽鑑賞に親しんだ彼の老後は、莫大の遺産と分不相応に持て囃された追悼ライブとは裏腹に、ごく静かで穏やかな生活であったのだろう。

 

・『鬱』のメンバーにリックがゲストとしてしか表記されていないのは契約上の問題であり、下手に正式メンバーと名乗るとロジャーの訴えでツアーを差し止められていたかもしれなかった。なお、ロジャーに対するトラウマや元々の怠惰ぶりでリックもニックもレコーディングですらまともな演奏を行うことは困難であった(そのため昨年末にようやく再録版が出た)ため、ツアーのリハーサルには鬼監督役としてボブ・エズリンが呼び戻された。

 

・『ザ・ウォール』でもメンバーの多くが軽く嗜んでいたらしいが、『鬱』ツアーに際してはデヴィッドがコカインに耽溺するようになる。結婚生活の破綻、ロジャーとの裁判(これは地球の裏側でレコーディングすることによって時差で弁護士の電話を免れた)、実質1人でフロイドの看板を背負うというプレッシャーに苛まれた彼は、若いサポートメンバーを引き連れて日々ナイトクラブに繰り出していた。40歳を越して腹回りが大きくなり、かつては美貌を誇った顔もお世辞にも美しいとは言えなくなった中年ロッカーが、このタイミングで初めてのロックンロールライフを送り出したというのは実に皮肉な話だ。

 一転して『対』のツアーでは、作詞における共同作業者かつ今日まで家庭を共にすることとなる当時の恋人ポリー・サムソンのお陰で、コカインを脱却して前回のツアーのような乱痴気騒ぎとは無縁であった。

 

・リックのソロアルバム第二弾『Broken China』は、ロジャーに散々虐められたリックの絶望から再生への半自伝的物語とされているが、実際には当時付き合っていた鬱病の彼女がメインモデル。勿論自分の精神危機も扱っていただろうし、恋人の疾患を売り物にしていると思われたくなかったリックはメディアには打ち明けず、彼や彼女と似た経験を過去に持つ友人たちにのみ、その真の主題を伝えた。

 なお、散々仲の悪かったロジャーのライブも周囲の勧めで90年代に一度足を運び、フロイド期の曲には自分がステージの上にいないことにフラストレーションを感じたものの、ソロ期に入ってからの楽曲はリラックスして聞けたという。その後、楽屋でロジャーとぎこちない挨拶を交わしたが、「こんな表面的な接し方はやめよう」と内心和解には既に足を踏み出していた。あぁ、リック。都合が悪くなったらクルーザーで海に逃げる癖さえやめて作曲し続けていればな...

 

・そこそこ有名なエピソードだが、少しずつメンバー間の仲が改善してきた2002年に、『狂気』の制作ドキュメンタリーにおいてお互いの事実認識に齟齬がないか確認するために4人でビデオ会話を行ったが、気がつけばロジャーとデヴィッド間での罵り合いの弁舌合戦が勃発していたという。60歳手前で本来の目的そっちのけの大喧嘩を繰り広げられ、残り2人は何を思っていたのだろうか...

 

・その後の「ライブ8」(「ライブ・エイド」みたいに出演すること自体に意義のあるイベントでもないとやらないよとは前年のロジャー談)による奇跡の再結成も、当初はボブ・ゲルドフのデヴィッド宅に無理矢理押しかけての説得ですら、作りかけのソロアルバムの制作等々が邪魔をしてオッケーが下りなかったが、ロジャーからデヴィッドへの電話によって悲願の合意に至った(余談だが、映画『ザ・ウォール』の主演からこの時に至るまで、ボブ・ゲルドフはフロイドを音楽的には全く好きではない)。いざリハーサルが始まると、1人だけ異なるバンに屯い、1時間遅刻しては横柄に場を取り仕切り、ド派手な大所帯のショーやイベントのコンセプトに矛盾する楽曲を取り上げることを主張し出すロジャーに一同は辟易とし、とうとうデヴィッドが「このイベントのために何をすべきか分かっているのか」と説得にかかり、ロジャーが折れるという一幕があった。

 「客が求めるものを」というショーマン気質のデヴィッドと、「俺の思想を読み取って観客が感化されて欲しい」という社会運動家のロジャーとの二者のうち、「ライブ8」が前者を求めるのは当然で、もしソロアルバムというデヴィッドの優先事項がない時期にこの再結成が実現していても、この対立を収めてツアーを行うということは難しかっただろう。

 

 他にもロジャーとデヴィッドの両方サポートを務めるミュージシャンに「ロジャーは偉大なミュージシャンだから是非行ってこい」と背中を押す冷戦期のデヴィッドや、近年の「デヴィッドは引退したと言うけど、どう見ても違うよね」「グラストにフロイドで出たいよね」とやたらとニコニコなロジャー(攻撃的な性格の改善のために20年以上セラピーに通っているということは評価されるべきだろう)など、「イギリス人はめんどくさい!」を地で行く4人に対しては「この迷える男たちに救いあれ!」以外の言葉が浮かばない、というのが今の自分の心境だ。

 この2冊を読んで、ロジャーの1stや2ndがよく聞こえるようになるとも思えないし、『The Endless River』の感動的なリックのセルフ葬儀にも「生きてるうちにとっとと出しとけばちゃんと評価されていたものの...」と茶々を入れたくなったため、果たしてこのような詳説を読むことにポジティブな効果があったのかは自分でもいまだに分からないが、少なくともこの5人が想像以上に「普通」で、想像以上に面倒臭い性格であるということは分かった。

 「こんな凡人でもヒーローにもなれるし、20年ほどバンドの真似事を維持できる」という、それこそイギリス流のユーモアでの言い回しをすると以上の感想となる。ファンが読まないという理由はない。