直截の時間(募集中)

気ままに書きます。勉学(課題の超過)によって停滞する可能性あり、タイトルは募集中だし良いのがあれば変える。

デヴィッド・ボウイ 1stアルバム『David Bowie』

1stアルバムまでの略歴

 1947年01月08日、エルヴィス・プレスリー誕生から12年後の同日に生まれたデヴィッド・ボウイ(本名、デヴィッド・ロバート・ジョーンズ)は、ロンドンはブリクストンで中層階級の親に育てられて幼少期を過ごした。カリブ系移民の多かった同地域では、他では見られないレベルでの多文化の共生が日々の光景としてあり、自身の価値観に大きな影響を与えたとボウイは回想している。

 その後に物心つく頃にはブロムリーに引っ越すこととなったが、そこはブリクストンとは異なって喧騒から離れた郊外の町であり、刺激的な生活からは程遠かった。酷く退屈な空気に辟易とした若者たちは熱中できる何かを求め出し、皮肉にもボウイに限らず様々なカウンターカルチャーの発信者を生み出した街として知られることとなる。

 ボウイの場合は、歳の離れた異父兄テリーの影響もあって音楽に関心を持ち出し、当時流行し出したロックンロールやR&Bに感化されてプラスチックのサックスを入手し、当初はボーカルではなくサイドマンの夢に向けて練習に励んだ。

 中学校では、後にギタリストとして大成するピーター・フランプトンの父親に美術の授業を教わり、二学年下のピーター自身とも交友を深め、アート志向の将来像を加速させていった。なお、この頃には同級生のジョージ・アンダーウッドと一人の女の子を巡って喧嘩になり、その際の負傷によって彼のトレードマークであるオッドアイとなっている(後に二者は仲直りをし、ジョージは自身の属するバンドにボウイを誘うだけではなく、卒業後にはデザイナーとして『Hunky Dory』の裏ジャケット制作も担当している)。

 学校をドロップアウトした時点でのボウイはまだミュージシャンを糧にする段階ではなかったため、アート志向であったことも関係してか広告代理店に入社する。会社の場所がエンタメ業界の中心地、ソーホーの近くにあったということも、その選択に作用したという可能性は充分にあり得る。余談ではあるが、ティーンエイジャーの頃にはインテリぶって難解な哲学書などを電車で読む素振りをし、実際に読んでしまったというエピソードを自ら語っているが、おそらくこの頃かと思われる。

 社会人生活の傍らで様々なバンドを渡り歩くものの、中々芽の出なかった青年ボウイは業界人相手ではなく、洗濯機の販売で一山当てた実業家ジョン・ブルームに「自ら仕掛け人となってミュージシャンを売り出して儲けてみませんか」と直接営業をかけ、ブルーム宅のパーティーで演奏するという約束を取り付ける。この作戦は功を奏し、程なくパーティー会場に居合わせた音楽業界の人間とコンタクトを取り、プロミュージシャンへの道を歩み出す。 

 「デイヴィー・ジョーンズ・ウィズ・ザ・キング・ビーズ」という名義で、1964年にシングル「Liza Jane」でデビューを果たし、いくつかのバンドをバック(実態はバックバンド)にして活動するボウイであったが、アメリカのモンキーズにいた同名のミュージシャンの方が先にブレイクしてしまったため、1966年に「デヴィッド・ボウイ」に改名する。「ボウイ」の由来には諸説あるが、テキサスの独立戦争で有名な軍人ジム・ボウイと、彼の愛用した「ボウイ・ナイフ」から取られているという説が有力で、(デヴィッド・)ボウイのヒーローであるウィリアム・バロウズとの1974年の対談では、「嘘などそういうもの全てを切り裂く真実性を求めていた」と述べている。

 

1stDavid Bowie』(1967年)

 

 

おすすめ度★★☆☆☆

記念すべきデビュー作は、絶賛模索中の悩める20歳による自画像。

 バンドではなくソロとして制作された全曲オリジナル曲の本作は、後年の彼の傑作に比べると随分と没個性的な作品である。アルバムジャケットのボウイの髪型から明らかなモッズやブリティッシュビートなどの当時の流行からの影響を明らかにしているが、一方でミュージカル、キャバレー・ショウなどロック以前に流行った要素も取り上げており、最先端の音楽に専心していたわけではない。ブラスなども取り込んだ親しみやすい曲調とトゲのある歌詞に当時も評価こそさほど悪くなかったが、セールスは芳しくなく、レーベルとの契約も切れてしまう。そういう事情もあり、次作を実質的なデビュー作と見る向きは多い。

 とはいうものの、耳あたりの良いメロディーと捻くれた歌詞の組み合わせというボウイの十八番はこの頃には既に確立しており、32歳のマザコン漫画オタクを歌う「Uncle Arthur」でアルバムは始まり、チャーミングなメロディーに対して火曜までと期間を限定した”フリー”ラブソング「Love You Till Tuesday」、食糧不足による全体主義の未来が迫ることをナレーション仕掛けの演出で警告する「We Are Hungry Men」などは流石ボウイといった世界観。更には、異性の服を着る倒錯者の登場する「She’s Got Medals」ではジェンダー面でのタブーに切り込んでおり、本作を無視してしまうことは出来ない。

 この音楽面での柔軟性と皮肉の効いた歌詞とは後年のブラーを容易に想起させるし、もっと広げてしまうと、ビートルズ以降のブリティッシュロックの宿命とも言える十八番の作風である。それを1stで既に確立しておきながら、後世の活躍によって埋もれた名盤となっているのは勿体ない。後年の、芸名通りナイフのような切れ味は今作ではあまり聞かれないが、20歳が精一杯ウィットを振り絞ってポップに仕上げた渾身の作品が悪いはずがない。

 強いて、アルバムの弱点を挙げるとするならば、デビューしてから本作に至るまでに発表済みであった「I Can’t Help Thinking About Me」などのシングルがアルバムに収録されていないということであろう。後年にデビュー期の楽曲のセルフカバーを後に行った際、本作の曲は二の次に、同時期のアルバム未収録のシングル曲ばかり取り上げたという事実が、「あくまでもアルバム曲」である本作の位置付けを示唆している。

 この時期のエピソードとしては、(おそらく)知名度の向上の一環として「長髪男性への虐待を防止する会」なる団体のメンバーを名乗ってテレビの取材を受けたということや、アレンジャーに頼らずストリングスを編曲するために1stアルバムの制作中に楽典を一から読み込んだということが挙げられよう。監督的視点とプレイヤー的視点が混在したところがボウイの魅力であろう。

 

参考文献

大久達朗編(2015)『デヴィッド・ボウイ 1964-1969』シンコーミュージック・エンターテイメント.

野中モモ(2017)『デヴィッド・ボウイ筑摩書房.

Pegg, S.(2016)The Complete David Bowie, 7th ed., London.