直截の時間(募集中)

気ままに書きます。勉学(課題の超過)によって停滞する可能性あり、タイトルは募集中だし良いのがあれば変える。

2023/10/07

目を覚ますとあの嚥下の際の痛みがなくなっていることに気がつく。喉上部のガラガラした痛みはまだ残るがぐっと楽だ。昨晩アレほど追い詰められた気分の中、眠りに就いたというのに…

(ところがどっこい夜になるとやっぱりちょっと痛みがぶり返しているのだ)

 

掃除の後、図書館に向かい、落語のCDを取り込むも、初期化したPCにFree Wi-Fiを繋いだり電波の届く場所取りに手間取ったり取り込めない楽曲を何度も粘って取り込もうとして断念したりとモタモタして余り進まず。

AV関連は同時に2点までしか借りられないため、その間は映画を借りて帰れない。時短勤務の間に目星をつけたものを一通り借りておきたいのだが…

 

適当に何席か古典落語を聞いてみたが、思いの外何を言っているのか聞き取れない。戦後の名人を聞いているので音質もあるが、聞こえてくる音を江戸の文化を介して現代の言葉に変換できない。立て板に水とばかりの噺の上手さに面白さは減じることはないが、サゲ…いわゆるオチのダジャレの意味が分からずキョトンとしてるうちに客の拍手と囃子に包まれフェイドアウトすることもある。

そんなこんなを切り抜けるべく、辞典を手元に置いて、少しずつ身体を300年ほど前、いや、60年前に馴染ませていこう。

 

落語に限らず、古い邦画になると何を言っているのか分からないことはかなり多い。語彙もそうだが、イントネーションや発音が今の日本語とかなり異なる。「ん」を「n」と読むのは我々世代で、親や祖父母世代は「ng」と読んでいたという話があるが、これぐらい同じ言語でも話され方は変わる。デリダ関連の本を連続して呼んでいるからに哲学的な話にしそうになるが、それよりも黒澤作品の音質は何とかならんのか!!という愚痴を垂れ流してこの話は終わり。

 

今日は実家に帰ってきた。月イチの薬善弁当が食べられる日だ。自宅から帰ろうとしたら駅前で屋台が並んでいた。祭りらしい。最近はお伊勢参りに併せて日本神話に絡めて折口信夫も読んだし、古き文化に触れたい気分だ。

 

日記だから出来事だけを書いてきたが、最近ハマっている作品も触れようと思う。「逆さ戦メリ」だ。タイトル通り戦メリを逆に弾くという出オチな代物なのだがこれが良い。「教授」、「世界のサカモト」に並んで本人がウンザリしていたであろう「戦メリの人」という認識に対抗するがごとく、旋律の強度は弱まりながらも和音はそのままなので程よい良さのアレンジを提示する。フランスっぽさもあったので、ずっと戦メリを弾かさせられていてウンザリしていた本人が弾けばよかったのではないか笑

 

昨日取り上げた本の話もしたいが、またそのうち。