今日は久々に友人と遊ぶ(その友人と遊ぶのも友人と遊ぶこと自体もいつぶりだろう!)となり、家を出る前に昨日見ていた『花と怒涛』の続きを鑑賞。号泣。
泣かせる話ではないが、刺客と主役が同じ画面に映りながらすれ違うなど、魅せる映像が怒涛の勢いで押し寄せ、感動のあまり泣いてしまった。
良いショットとは素晴らしさに落涙するショットのことだ。
涙が落ち着いたら出発。
山の麓の芸術祭に向かう。その前に途中下車して入った喫茶店から、だんじり(神輿)を担ぐ若い衆たちをたまたま見物。
会場は町中のあちこちにあり、お店のショーウィンドウに公募作品が飾られ、倉庫など建物の一角を貸し切ったところに招待アーティストの作品が飾られていた。
どちらにもそれぞれの面白さがあり、唸る作品もあり、現代アートのその批評性と分かりやすさ、面白さを接ぎ木した楽しみがあった。
おばちゃんに「お兄ちゃんこっち来いな」と客引きされ、黒い暖簾をくぐるとバキバキの映像作品があったり(「背ぇ高いな」「よく言われます」)、田舎とアートという題材としては結びつくもののその地の人への受容のギャップをしっかり結合させていた面白いところだった。
朝の涙モードのせいで何気ない風景画に目が潤んだり、ソファに座って横を見ると壁一面に絵が描かれていたり、思い出になりそうな瞬間が何個か楔打ち。
遠方より友来る。
ということで酒を飲む。100円でビールが飲めるのに飯もそれなりに旨く店内の喧騒もほどほど。自分が連れて行ったにしてもやはり良い店と誇れる。
久々に外交人がメインで接客している店に行ったが、そういや京都と東京の違いとしてはコンビニ店員の外国人の割合な気がする。これ以上話はあまり膨らませないが、そういう認識だ。
だいぶ飲んだがご機嫌で帰宅時には酔いも覚め、掃除をして入浴。今日から新しい牛乳石鹸に切り替わり。引っ越し祝いに牛乳石鹸を頂いたのだが、アマゾンだと複数箱単位でしか送れないとのことで30個届いた。結果として全部使い切る頃には自分は三十路になっているという、両手に抱えきれる大きさに人生が詰まっているのだ。
イリガライ先生の別著作を読み出した。あのブースト感は講演集だとあまり滲んでこないが、やはりうっとりする。フェミニズムに対してこんな受け止め方で良いのかは分からないが。
にしてももっと翻訳されるべきだと思う。今読んでもまだまだ学べることばかりなのだから。